空飛びラボ日記 Ver.2

研究する人生

ガイアになりたい

夕べ寝入りばなにメールをしていて、話しの流れから以前の恋愛と自分のどうしようも無さ加減を思い出し、いきなり涙が出てきてキーも打てなくなってしまったのでメールは切り上げてさっさと寝てしまったのだが、妙な夢をいくつも見て眠りの質は最悪でした。
しかも、今朝出勤前にコンビニに寄ったところ古いドラマの主題歌が流れていて、そのドラマ自体は陳腐なラブコメで興味もなかったにも関わらず不覚にも泣いてしまいそうになりました。


心の柔らかいところが露出していると涙腺がゆるい。



過去の恋愛について、事情を知っている私の友人達は「空猫は悪くない。やれることは十分にやったよ。」と言ってくれると思うけど、それは彼女たちが私の友人達だからいってくれる言葉であって、男女の関係においてどちらかが一方的に悪いと言うことはほとんどなくて、おそらくイーブンに傷つけ合っているはずです。でも、イーブンだから反省しなくていいのかというとそれは全く違っていて、相手が私を傷つけたことに関しては彼が考える問題だけど、私が相手を大切にしきれなかったことに関してはやはり自分が傷ついて考え続けなければならないのではないかと思います。
そういった意味で、私は全ての元彼に謝罪したい気持ちがあります。


私の一つの理想は無償の愛なので、自分自身を責める気持ちとしてそのことを貫けなかった、というのがとても大きいのです。凡人ですから無償の愛なんて所詮無理なんですが、私は多分非常に母性的な人間だからか、男と相対する時に異性愛よりも母性愛が上に来てしまう。だけど、そのまま行ければいいけど結局親子ではないので遅ればせながら出てきた異性愛が見返りをよこせと相手に詰め寄ってしまうわけですね。

まあでもね、考えてみれば母性を優先させがちなのは結局のところ私自身が本来対等であるはずの大人の男と真正面から関わることからの逃げなんじゃないかなーと思うようになりまして、最近はちょっと意識的に変えているんですけどね。私は弱い自分は現時点では認めているけど、そのままいつまでも変わらないのは嫌だし時間がある限り直したいですしね。でも過去は変えられませんから、恋愛における山積みの悔恨をこれから先どのように処理しながら活かすかってことをよく考えます。





母性ってことに関して言うと、私はおそらく相当強い。
私がどうして子供を産みたくないかというと、胎生という妊娠現象を生理的に受け入れられないと言うことも大きいけど、特定個人の母になりたくないということもあるのです。
私は全生命体の母的存在になりたいんですよね。ようするにガイア思想っていうんですか。。。

特定個人の母になるとそこにどうしても区別が生まれてしまうし、特定個人を守ることは包括的に愛を注ぐこととは時に対立してしまうので、できればそういうことはしたくないんです。



だけど、巨大な母性愛の底にあるものを見つめてみるとそれは圧倒的な支配欲かもしれない。自分はそういう意味では非常にデモーニッシュな人間だよな、、、、って思いますね。
もちろん、神の愛は神の怒りと表裏一体だし、圧倒的な善と圧倒的な悪は所詮紙一重で、そういうところまでいくと定義付けには意味がないのかも知れませんが。

全生命体の母になりたいという欲求を思うと、私がそうとう幼い頃からいわゆる骨壺を墓に納める方式が大嫌いで、死んだら腐りながら他の生き物たちの食料になり養分になり、生命の環の中にとけ込んでどこまでも広がっていきたいと思っていたのは至極当然で、きれいに繋がりますね。
早く地球と同化したいよ。。。。




ただね、書いていて思ったけど、大人、しかも産む能力を持たない大人の男って言うのは私にとってはホントのところ最も無関心な存在で、それゆえに支配とは離れたところで理解と優しい気持ちだけを持つことができるんじゃないかしら。。。。。

と、この辺に自分の探していて答えがありそうですね。