空飛びラボ日記 Ver.2

研究する人生

天網恢々疎にして漏らさず

気が付けば発表まで一週間を切っております。やばーいw

当日会場へ向かう途中に駅の階段から落ちて軽く骨折しないか?などの妄想をしてしまいますが(運動会前、風呂上がりにベランダに何時間もいて風邪をひこうとした小学生時代と発想が変わっていませんw)、神様はそういうご配慮はして下さらないので健康体のまま会場に到着すると思います。

なので、もう、頑張るしかありません。
泣いても笑っても、失敗しても、大恥かいても15分のことですもの!!
平気よ!!! 

それに、来週の今日には重圧から解放されているのだと思えば、やれやれではありませんか。
ようやく新しい実験のための勉強もできるわけですし。



ところで、私は基本的に「コツコツタイプ」ではないので、テスト前だろうが何だろうが気が乗らなければやりません。その替わり、やる気になるとヒトの何倍かやります。
ちなみに、気が乗らなくても崖っぷちに追い込まれるとやります。テストの場合は、赤点でも別にいい、と思えばやらないですが、進級がかかっているとやるわけです。

そんなわけで、「つまんなーい」「やりたくなーい」と逃げてきた事がいくつかあるのですが、ある時絶対に逃げられない状況に追い込まれるのはなぜなんでしょうか?人生って不思議ですよねー。神様(らしき大きな存在)っているな、と思う瞬間です。



大学の時、私は解剖学が嫌いで、単位を落としまくったあげくに呼び出しをくらい、一年生の単位を五年生でやっと取ったという全く自慢できない過去があるのですが、正直もう解剖学とはこれでおさらばだしぃ〜と思ってました。

でも、その数年後、何の因果か大学院で所属することになった研究室は解剖学講座で、予算のない地方大学では大学院生も実験の傍ら実習に駆り出されるという事態に遭遇。
駆り出されて雑用だけやっているならいいのですが、準教授らと分担して学生達の質問に答えたり、実習終了後の口頭試問を行ったりしなくてはならず、それはすなわち教えられるだけ理解していなければならないということを意味しています。

私は泣きました。
「神様! 何故にこの『私』が解剖学をまたべんきょうしなくてはならないのですか?」


それに対して神様はこう答えられたのです。
「サボった分、ヒトよりも一層勉強する機会を与えます。感謝しなさい」


そんな神のご配慮は全然欲しくなかったのですが、自分の研究そっちのけで実習期間中は解剖学の勉強しました。
学生時代は全然憶えなかった筋肉や神経の名前も必至で暗記しました。
そんなことが毎年繰り返される大学院四年間。。。。しかし、毎年勉強しているとこれが結構憶えて来るではないですか。

結果的に解剖学の素養を身につけられたこと(規定の授業中に身につけろというご指摘は無しでw)は今の仕事にすごく役立っているんですけど、どうも、逃げると利息付きで直面させられるような気がしてなりません。。
しかも、解剖学に関しては、もしかするともっと大きな利息を支払わなければならいかもしれない。。。。。


まぁそれは置いておいて、英語もね、嫌いじゃないんですけど文法をきっちり憶えて正確に理解することはおざなりにしてきたところがあると思うんですけど、どうやら去年で猶予期間は終わったようです。
もう本腰入れて身につける時なのですね(やっている人はとっくにやっていますw)。。。


毎回「しまったぁ!余裕持ってやれた時にまじめにやっておくんだったぁ〜!」と思いますけど、怠け者の私としてはかなりキツめの試練がないと、とにかく義務感だけではやらないし、焦りもあまりないし(何やら分からん大物感の理由)、何もないと好きなことしかしない傾向にあるので、外から来る試練は成長のためには絶対に必要です。

ありがたいと思わなくてはなりません。
はぁ、ありがたい、ありがたい。。。。