空飛びラボ日記 Ver.2

研究する人生

時には無理して

長時間労働で、食事をする間もあまりなくて、という状況でいると「無理しないで下さいねー」と必ず言ってくれるヒトがいるけれど、私はいつもそう言うのはどうかなと思う。



精神的に追いつめられているような時にあまりにも無理したら病気になってしまうかも知れないが、そうでない時は無理をする時があったっていいと思うのだ。


無理をしないといつまでたっても自分の閾値が上がらないでしょうが。


スポーツでも芸術でもなんでもそうじゃないだろうか?

研究だって、長時間の実験に肉体的に耐えられるとか、集中力が切れないとか、心身共に疲労してきてもモチベーションを高く持ち続けるとか。
そういうことはある程度自分に負荷をかけないと今以上のものは身に付かないと思う。

で、自分自身が今以上にならないと、今以上のものは生み出せないと思うのです。


だから無理をする。
比較的調子のいい時を狙って、わざと実験を詰め込んだり、規模を大きくしてみたりする。
それで、もう限界〜もうダメ、倒れそう〜〜 と思ってもそこからさらにもう少しペースを落とさないでやってみる。

もちろん倒れるまではやらないけど。

意外に、しんどいしんどいと言いながら結構頑張り続けられたりして、ふと気がつくとこなせる量が随分増えていたりするものだ。
頭も相当酷使しても疲れなくなってきたり。


なんかこう、いつも負荷をかけるべきとは言わないけれど、常に無理しないでできる範囲しかやらないと進歩しないどころか肉体の衰えと共に後退していくんじゃないかと思うんだよね。

私はそういうの嫌いです。

少なくとも私自身はいつも「今日の自分」を超えて生きていきたい。
もっと高く。もっと遠く。
自分には絶対にそれが出来ると思うし。


+++


追記

私が自分の閾値を上げたい、幅を広げたいっていうのは仕事に限った事じゃなくて、だから新しい料理にトライしたり、暇を見つけて映画を観たり読書したりを欠かさないってことをしているんだと思う。

でも、日本人はバイタリティがないヒトが多いからか、何なのかよく分からないけれど私みたいなやり方を「いいねー」と口では言っても心の底で敬遠しているヒトが実は多いんじゃないかなと思う。
まぁ、そう感じるような態度を取られることがままあるって事なんですけど。揶揄されたりね。

今日と同じ明日でいいじゃない、みたいな。。。。


でもさー、、、確かに今日はいい一日でしたよ。
でも、明日はもっと楽しくて刺激的で、レベルアップした自分に出会える人生の方が良くない?
私は大変でもそっちの方がいいなぁ。。。