空飛びラボ日記 Ver.2

研究する人生

諦めることと逃げること

以前も何か書いたような気もしますが、同じ部署に同い年のラボテクニシャンがいて、彼女が学位を取りたいと言うことで博士課程(理博)に入ったのが3年少し前。理学部の博士課程は3年なのですが、学位論文が間に合わずにこの春単位取得退学となりました。でも、退学後3年のうちに論文を仕上げ、学位審査を受ければ普通に学位は取れます。

さて彼女、学位を取るならかねてよりの自分の興味のある分野でなくては意味がない、と言い張り(彼女は理学部物理学科卒)わざわざ理学部の大学院に入ったのです。医学系研究科(医学部大学院のこと)にしておけば学位論文を書く必要はなかったし、現在上司の下で行っている研究をそのまま研究テーマとして引っ張ることが出来るので、学位取得という意味では大変にラクだったでしょう。医学部は臨床の片手間で学位を取る人だっているのですから、審査等々はだいぶ甘いのです。
学位は取ってからどう生かすかが問題であり、医博だろうが理博だろうが農博だろうが関係ない。まして、数年前に表示形式が変更になり、現在は「○○博士」ではなく「博士(○○)」(○○には医学とか理学とか獣医学と入れる)と表記するので、どの学位だろうが一層差がない感じになったし、だったら取りやすいところでさっさと取得するというのも一つの考えです。

しかし彼女はこだわりました。理由としては、何度も聞きましたがよくわかりませんでした。
でも、取得後に医学系ではなくて物理関係のところで仕事を見つけていきたいなら、人間関係も含めて適したところで学位を取るのはもちろん良いと思いました。

仕事しながら大学院に通い、普段の仕事とは全く関係のない実験を立ち上げて、年もだいぶ下の大学院生に混じって少ない時間で学位研究を行うのは大変だろうと思います。
でも、比較的楽に学位を取れる方法があるのに、あえて自分のこだわりを押し通すなら、そういった諸々は覚悟の上だろうと、そう思うでしょ?


けどねぇ、、、彼女文句ばかり。
文句ばかりの、自分のやる気はこんなにあるのに様々な理由がそれを阻むのだという文句ばかりの3年間でした。で、理学部ですから普段医学系の研究をしているとかそんなことには配慮してくれず、当然のように彼女にも他の大学院生と同じハードルが設けられたのですが、それにもブチブチ。研究室によって、教授の方針で色々ある場合があるのですが、彼女の行ったところは、学位論文を書く前に最低一度は関連学会で発表すること、と、学位論文は英語で書くこと、の二つが決まり事のようでしたけどね。


学会は何とかなったものの、結局は論文が全然間に合わず単位取得退学になったのです。
でも、私だって単位取得退学です。学位論文は半期遅れて出しました。学位審査会というのは大きな大学であれば年に何度も行われているので、多少遅れてもガシガシ書けばいいのです。彼女の場合はさらに問題があって、担当教授がこの3月で退官してしまったという。そういう事情は前もってわかっていたのだから、そもそも年度内に死ぬ気で仕上げろという感じですが、教授は現場を離れたものの論文添削だけはするとおっしゃってくれたそうで、ありがたい話ではないですか?
でも書かない。

6月末にひとまずの区切りをという約束だったらしいですが、様々なことを理由に結局書かず。
また、職場の上司にも「科研費申請してほしいから秋までにはなんとか取得して」と言われたそうですが、それでも書かない。上司のお願いはイコール強制命令であるというのが私の認識ですが 笑、彼女はどうもそうは捉えないようで。。。


彼女が博士課程に行くためにすごいわがままを通してきたんですよね。
例えば、院試があるから持ち回りのゼミと報告会を休む(半年も!)、入学したらしたで大学院の研究室でのゼミをやらなくちゃ行けないからうちの方は休む(試験が終わっても結局やらないんかい!)、最終年(去年度)に博士論文を書かなくてはいけないから、まとまって仕事を休む(しかし仕上げなかった)。



私はね、どうしても能力的に無理という場合もあるのだから諦めることも人生にはあるだろうと思うんです。
彼女も、物理研究がやりたかったけれど、博士課程からぽっと入って何とかなる世界じゃなかったと、自分が甘かったと思っているならそういうこともあるでしょう。

でも、彼女の二足わらじのおかげで色んな人が迷惑を被り、不愉快な思いをしたのです。その責任を取るのが大人だと思います。学位はなんとしても取りなさいよと。出来ないなら、みんなの前で謝りなさいと、思うわけです。
厳しいですか?
私は、彼女が大学院に進学するまでにかけた数年間も愚痴や悩みや逡巡の思いや、あるいは進学後の理想等々を聞いてきただけに、余計にそう思います。



私は以前、某研究所にいた時についていた研究員に言われた言葉を今も時々自分に言い聞かせています。

吠えるなら、結果出せ

彼は私が大学院に行くことが決まり、研究所を辞めるときにはなむけの言葉として言ってくれたんです。
「俺はね、生意気言っても吠えても良いと思う。でも、その分結果出さないとな。空猫さんは、色々(生意気)言ったけど、大学院に受かって結果出したと思うんだよ。それで良いと思う。頑張ってくれ」



彼女は今こう言うのです。

大学院に行ってみて、自分の望む分野であっても研究って思っていたのとは違うと。
自分が研究をやりたいのかわからなくなったし、むしろやりたくないのかもしれない。
そうなると、学位を取ってもその先の展開が見えないし、
別に要らないんじゃない?
学位取得にかけるエネルギーは、自分の能力を生かせることに使うべき。




笑っちゃいますね。
それは潔く諦めることにすらなっていない。ただの逃げではないですか?吠えたら結果出せ、結果出せぬなら潔く謝れ、ですよ。
一度逃げても、それ以降は逃げずに結果を出す人もいるんでしょう、もちろん。そういう人は逃げた自分を猛烈に恥じていて、以後二度と同じような恥はごめんだと頑張ったのでしょう。
でも、多くの場合は逃げ癖がつくと思います。逃げ癖がついている人は何事も成し遂げられないし、何かあれば周囲のせいにするでしょうね。


またもや私の話ですが、二浪までして最低希望の大学にしか入れなかった私は、周囲とレベルが違う、自分はこんな所(母校よスマン)でくすぶっている人間じゃない、もっと偏差値の良い大学に入り直すか、美大進学をもう一度模索したいとか、言った覚えがあります。今から思えば失笑もんですけどね^^何を言ってるんだ、このバカ娘、ですね。
当然親に叱られました。「不満なら入り直しても良いけど、きちんと卒業して国家試験も通ってからにしなさい」とね。「そうしないと人生何事も中途半端にする癖がつくから」と。それで国家試験も二浪なんですから、どの口が文句言っているんだって感じですよ。あー恥ずかしい恥ずかしい。

大学受験に失敗したのが悔しいなら、入ったところでぶっちぎりの首席でも取れ!と今の私なら思います。実際、私と同じように本命の国立大学に落ちたという先輩で、6年間首席を守ったという人がいました。今いるところは本来の自分の場所じゃないと思うなら、そのくらいして見せないと。周囲だって納得しません。実際、その先輩は大学入試にしっぱしたのはたまたま運が悪かったからだろう、と先生方にも言われていました。



大学を辞めたいというのは逃げでした。私はかなりグータラしているところがあるので、あそこで逃げていたら完全に逃げ癖がついていただろうと思います。
逃げを許されなかったので、自分の甘さに気づくことが出来て、そういう自分はやはり好きではないので、時間がかかっても最終的には逃げずに結果を出さなくちゃ、と頑張れる自分に一応矯正されたんです。ラッキーでした。




これまでの生き方諸々を聞いていると、彼女は逃げ癖がついていると思いますよ。。。彼女とのつきあい、どうしたもんかなと思っています。と言いつつ距離は置いてしまっていますが。
上司がねーー、、、上司は能力高いんですけど、彼女のことを個人的に好きなんですよね。おそらくかなり。
テクニシャンとしては仕事が出来るので、能力を買っている部分もあると思いますが、明らかに異性としてタイプなんだろうと思う態度。セクハラとかじゃないですよ。彼女に嫌われたくないから言いたいことが言えない、って感じなんですよねーーーーー。
私には、藪から棒に超きついこと言うくせに。そういうところも、色々むかつくんですわ!長居はしたくないですわ!!と言いつつ8年目に入ってしまいましたが、懲りずに言います。もう出る!