空飛びラボ日記 Ver.2

仕事・生活・猫その他

たとえばこんな妄想

ふと、上戸彩主演の映画「昼顔」がもう一度観たいなぁと思い、休日出勤中の今すぐに鑑賞するわけにもいかないので、映画.comのレビューを順番に読んでみた。



ハッピーエンドかアンハッピーエンドか、解釈によってはどちらとも取れるラストだが、現実的には愛し合う二人でなんの障害もなくなった新しい生活を始めることはできずに終わる。
好みかどうかは別にして、非常に鮮やかな印象を残した作品だった。


ところで、このような不倫を扱った作品に接すると私がいつも思うことがある。
それは、私が結婚したとして、その後パートナーに別の愛する人ができた時に自分はどうするか、ということだ。


もちろん、そういう場面が現実的になれば、今考えているのとは全く異なる感情が湧き上がる可能性がある。
が、少なくとも今はため息と苦笑と実はかなり大きな安堵とともにパートナーを解放する自分が見えている。
その奥底に、どんな感情があろうとも、自分はおそらくそうするだろう。




何故なら、自分の中には因果応報という楔が深く打ち込まれていることを、普段は忘れがちであるけれども絶対に忘れてはいないから。その楔を外したいと切実に願っている自分がいるからだ。
そして、その楔は多分たった一つの方法でしか外れないということを私が知っているからだ。


私が奪われる。
そこでどれほど傷つこうとも、手放したくないと切実に願うとしても、私の手からすり抜けていく。
そういうことが私の身に起きた時、私はたくさん傷つくだろうが、同時に安堵するはずだ。
何故ならこれでやっと罪を償えたと思えるからだ。


結局のところ、私は何も奪えはしなかったし、愛が続いているわけでもないのだけれど、容易に償えない罪の意識を、返すことのできない借りを背負ってしまったと感じさせられている。
それこそが不倫の罪深さではないだろうか。

どうしようのない出会いはある。気持ちに歯止めが効かないこともある。
だけど、愛する人と共にいても、居なくても、心の借金は重い。。。。


おそらく、すでに誰かのパートナーだった人を本気で愛したことのある人は、その気持ちが成就しようと終焉を迎えようと、同じ思いを抱えて生きているんじゃないかと思う。
具体的な名前を出して申し訳ないが、樋口可南子など糸井重里と時間がかかっても結ばれて今も仲が良いようだが、彼女を目にするたびに「ああ、借金返せてなくてしんどそうだな」と見えてしまうのは私のバイアスのせいだろうか?

幸せなら幸せなりに怯え、不幸せならどこかでそれを当然と思っている。
奪われる身になってみて、やっと荷が下ろせる。
不倫の後遺症があるように思えてならない。

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追記

こういうこと、普段は忘れているけど、どっぷりした恋愛ものの作品に接した時とか、すごく好きになりそうな人と出会った時に蘇る。
それで「あー自分には返せてない借金があるんだ」と思ってしまう。
しかも、結婚どころか恋愛もしない今のような状況だと、借金返済のめどは永遠に訪れないわけで、借金を抱えたままで死んでゆくのか、、、とため息しか出ない。


追記2

あぁでもね、もし自分が奪われる立場になったとして、あっさり諦めようと思うのは、重荷を降ろしたいからだけじゃない。
半分はそうだけど、後の半分は、好き同士一緒に生きたいと気持ちが固まっているならなるべく早く一緒になって二人で入られる時間を一分でも長くしたほうがいいと思うから。
障害がある状態が長くなるとこじれることもあるし、辛いし、気持ちが荒んで恨まなくていい人を恨んでしまうこともあるしね。
そういうのは別に経験しなくてもいいことなんじゃないかな?と思う。
人生は基本的に厳しいものだと思うので、幸せは少しでも多いほうがいいと思うんだよね。。。。
お人好し?
でも、自分の行動で不幸になっている人がいると考えるより、幸せになった人がいると考えられるほうがいい。それで自分が何か失うのだとしても。