空飛びラボ日記 Ver.2

研究する人生

オフ会徒然

昨年末の土曜日、ハイクユーザーさんと約2年ぶりにお会いした。

二人オフ会である。


北の果ての果ての果てに暮らす(失礼!)彼女と初めて会ったのが、2014年4月の知床一人旅の時で、部屋は別とはいえ一緒のホテルに泊まり温泉にも入ったりしたのだから、思い返すにつけ不思議というか、いきなり色々飛び越えて距離を縮めた印象がある。

さらにその時は、奇跡的な季節外れの流氷再接岸があり、彼女との出会い無くしても私にとって忘れられない旅であったが、新しい出会いが生まれたことで一層忘れ難いものになっている。


http://f.hatena.ne.jp/soratobi_neko/20140412090837
http://f.hatena.ne.jp/soratobi_neko/20140412165834
4/12 1日だけの再接岸

http://f.hatena.ne.jp/soratobi_neko/20140413060324
翌朝、流氷はもう沖合に。。。



人と人との出会い方に特に意味はなく、意味があるように感じているのはただ自分の思い込みで、全ては偶然なのかもしれないと思う一方で、やはり特別な思い出とともに存在している出会いというものは自分にとってはスペシャルな感じがする。



そんなスペシャルな彼女とは、離れいることもあってポツリポツリとしか会うことができていないのだが、これからも長く続いてゆくのだろうなぁという予感がある。





昨年末のオフはもう一回


はてなハイクフレンドさん4人との忘年会である。

一人を除けば、ハイク内での付き合いは長かったもののお会いしたのは2018年秋以降。
ずっとお会いしたい人たちだったので、実際に会うことで存在にリアリティが増したのはとても良かった。
けれどもどういうわけか私はその忘年会オフを境にハイクへの書き込みにほぼ興味をなくしてしまった。


もちろんこれにはいくつか理由があり、また、幾つも重なったので一気にハイク離れした、ということもある。
理由というのは例えば、
すでにハイクの頻度が落ちていた
今後、仕事において記名での情報発信が増えそうな状況で、匿名での情報発信、特に軽くつぶやくようなことに関して止めたほうが良いのではないかと考え始めていた
いくらハイクで共感できていてもリアルで親密な人間関係を構築できるかどうかはやはり人間的な相性によるところが大きいと感じた(そしてそれは会ってみないとわからない)
自分という人間は、ネコのことを除けば仕事をちゃんとやるために他のほとんどすべてのことが存在しているようなタイプなので、ある程度仕事の話ができないとストレスが溜まるということがよくわかった
映画、音楽、文学、美術等々はそれなりに好きなのだけど、それらについて語り合うことの楽しさがいまいち実感できない。。。
ハイクをやめたらすごく時間ができて、ハイクが切実に必要だった時期は絶対にあったのだけど、とっくにそういう時期を過ぎていたのに離れなかったことを仕事目線からかなり反省した

そして、上述のようなことを、忘年会オフでつい勧められるままに普段飲まない量の飲酒をしてしまい2日間ほどのひどい状態の中でつらつらと考え、結果的に習慣だったり、未練だったりが潮が引くように消えていった。
多分、あの深酒(個人的な)がなければ3月のギリギリまでやっていたのではないかと思う。


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ホッピー部滑り込み入部




年が明けて2019年

昨年にお声がけしていた別のハイカーさんと二人オフ
とある美術展にご一緒していただいた。

彼女とはネコつながりなので、これまでのハイカーさんとはちょっと違う感じがした。


お互いに、実際に会うと印象が変わりますねということを言い合ったのだが、これもまたハイクのようなコミュニケーションでは、伝わっているようできっと大事なことは何も伝わっていないのではないか?との実感を強めることとなった。




私は人と会って話をすこと自体は結構好きだけど、オフ会の楽しさはいまいちよくわからないままハイクは終わろうとしている(結果的に会った人とはまたお会いしたいので、そこは誤解なきよう)。
オフ会が好きという人っていると思いけど、何が好きなのかじっくり聞いてみたい。