観たのは先週14日です。
奇しくも佐賀から戻ったばかりでしたので、そういったことも含めて感慨深く観ました。
例によってネタばれしたくないので内容については詳しくは書きません。
私には珍しく原作は読まずに観ました。
これはね、本当につらく悲しいお話です。
悪人は誰か?というのが映画のキャッチコピーでしたが、実際に観ている間中「悪」って一体なんだろうと自問していました。
私自身、この夏、心の疲労が大きくて生きることにかなり疲れて過ごしているので余計にそのように感じたというのもあるでしょうが、生きるということはきっととても大変なのだなと。
特に現代は本当に多くの人々が孤独を抱えて、内心涙をこらえ、唇を噛みしめて生きているのかもしれないですね。
それで、自分の中の孤独を正視することに耐えられずにやみくもに他人のぬくもりを求めてみたり、物で埋めようとしてみたり、あるいは他人を嘲笑してみたり、そうやってなんとか生きながらえているのかもしれません。
みんなが危なっかしい綱渡りをしている。
それが現代なのかもしれませんね。
そんな綱渡りのような人生でもやっぱり踏み外してはいけないことがあります。
どうして踏み外したらいけないのかというと、それは自分自身のためではなくて、自分を大切に思ってくれる人、自分を切実に欲してくれる人を孤独の中に置き去りにしないためです。
そんな相手は今はいないかも知れません。
だけど、明日、廻り合うかも知れません。
未来にとって取り返しのつかない後悔をしないために、私たちは今日、踏み外したらいけない。
どんなことがあっても。
殺人を犯してしまった青年と、怒りと憎しみと悲しみと絶望の中で振り上げたスパナを、それでも黙って下ろして立ち去った被害者の父親の対比が鮮やかでした。
人として生まれて、人として生きるとは何ぞや。
幸せな人生とは何ぞや。
答えは今日を積み重ねた明日の中にしか無いのでしょうか。。。。