空飛びラボ日記 Ver.2

研究する人生

映画 「わたしを離さないで」

わたしを離さないで : 作品情報 - 映画.com

イギリスのブッカー賞作家 カズオイシグロの同名作品が原作です。
私は原作を読んでいる途中でしたので、おおよその粗筋は分かっていた上での鑑賞でした。

ですので、始まってすぐの、寄宿学校ヘイルシャムで子供達が賛美歌を合唱しているシーンでもう涙が止まらなかったです。

なぜって、その子供達はクローンで、臓器移植のドナーとして育てられているからです。つまりは医療家畜です。
本当のことは知らされず、ただ健康な成人になるために育てられ、18歳で寄宿学校を出た後は田舎の集落で自活しながら「提供」の連絡を待つだけの日々です。

大抵は3度目の提供で「完了」となり役目を終えます。一度目で「完了」してしまう時もあります。
いずれにしても中年を迎える前にその命は役目を終えてしまうのです。


だけど、ドナーである彼らと、レシピエントである「普通の」人々との間にどんな差があるのでしょうか?
見た目は変わりません。

ヘイルシャムはクローンの扱いに関して倫理的な側面に切り込んだ実験的な寄宿舎であり、子供達に積極的に創作活動を行わせることで、クローンにも魂があることを証明しようとしていました。
でも、社会は医療家畜であるクローンが、実は「普通の」人間と何ら変わりがないなんてこと、知りたくないんです。本当は気付いているけど、見ない振りをしていたいんです。臓器がどこから来るか、なんて考えたくないんです。
自分が生き延びるために、命を誕生させて、健康なその誰かの命を好き勝手に奪っているなんてこと、後味が悪すぎて直視したくないですよね。。。。都合良くいい人でいたいんですから。。。

だから、ヘイルシャムの試みも実を結ぶことはありませんでした。



成人になった子供達は恋愛もすればセックスもします。
でも「提供」に逆らって逃げたりはしません。
だけど本当は「提供はいやだな」って思ってる。仕方ないんだろうけど、でも、自分たちクローンと「普通の」人達と一体どこが違うの?と思っている。
ヘイルシャムの試みがクローンに魂があるかどうかを証明しようと言うことだった、と聞いてびっくりしてしまう。

だって、だって、そんなの当たり前じゃない、、、って思ったから。



私は涙が止まりませんでした。

映画を観ながら、科学者としてこういう世界にしないために研究を行っているんだ、行わなくちゃいけないんだ、と心の中で叫び続けました。

私は時々動物実験を行います。辛いです。
辛いというそのことについて、かつて「医師は病気を治すのではなく、手を貸しているだけだから」というアドバイス?をくれた方がいて、言わんとしていたのは「死ぬ時は死ぬんだから」ということだったのではないかと思いますが、動物実験に関してはかなりずれていると思ったことがあります。

私は死は運命だと思います。
でも「殺されること」が運命であっていいわけがない!
クローン達が臓器提供のためだけに生を受けさせられ、殺されることが運命であって良いわけがないのと同様に、マウスでもラットでも、私の手によって殺されることが彼らの運命であって良いわけがない!!!と思います。
私はエゴイスティックな執行者に過ぎないのです。だから私は苦しい。


いつの日か、私は生きているうちは無理でしょうが、どんな命であっても故意に奪わなくて済む日が来ることを祈ります。


特に生命・生物関係の研究者や学生は観るべきとおもった作品でした。
原作も是非。

わたしを離さないで

わたしを離さないで

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追記

この物語、設定は近現代です。未来の話しにしていないところがこの作家のすごいところです。
確かに現在、ヒトクローンを造り、臓器を取りだして利用するなんて事は出来ないし(技術的に)、そういう意味では架空のお話しですが、極めて近いことは行われています。

臓器ブローカーは実在するし、途上国ではそのための人身売買が行われています。貧困ゆえに売られた子供達はまず栄養不良を改善させられて、先進国や富裕層の人間のためのドナーとして育てられます。
生まれがクローンでないだけで、同じ事ではないでしょうか。

この問題に関しては、ヤン・ソギルが問題作を出しているので興味のある方は一読して下さい。
ヘビーですが。

闇の子供たち (幻冬舎文庫)

闇の子供たち (幻冬舎文庫)