空飛びラボ日記 Ver.2

研究する人生

断捨離と悪夢

昨日とうとう専門書と自然科学系の読み物の大半を買い取りに出しました。


二箱分で依頼していて、もしも入らなければ、高かったあれとあれは残して、なんて甘いことを考えていましたが、余裕で全部入りました。入ってしまいました。

段ボール箱に封をして、大分隙間の多くなった本棚を眺めて感じたことは、別に困らないな、、、と言うことでした。
ほんと、困らない。



昼前に佐川さんが引き取りに来てくれて、渡す時もその後もネガティブな感情はほとんど無く。
でも、午後から彼氏の家で過ごして居るとき、なんだか私は元気が無かったのです。
そしてどんどんしょんぼりした気持ちになり、、、あぁ案外感傷的になっているな、と。
そして元気が無い感じは翌日の今でも微妙に引きずっています。


だけどこの反応で良いのだと思います。
だって使っていなかったとは言え、専門書は自分にとっては大事な存在ベスト5に入るくらいに考えていたものでしたから。
それを引きちぎったのですから。
無意識のところで何かが崩壊していてもおかしくありません。


けど、脱皮するには強烈な作用が必要なんです。
だから後悔はしていません。



その後、そういえば先週のゴミ出しの時にCDを廃棄しようと思って忘れていたと思いだし、ついでだからゴミ袋へ。
これはほとんど感傷は無かったけど、つい最近「聴かなくなったCDでも思い出があって本体を捨てることがどうしても出来ない」という内容をブログで拝見したことを思い出し、と同時に断捨離本のレビューで「必要が無いから思い切って捨てられる人と、必要が無いと十分分かっていても絶対に捨てられない人がいて、後者には断捨離や片付けをいくら説いても気持ちが動かないのだからどうしようも無い」というのも思い出しました。
そうだよね。
捨てられる人は、私も含めてですが最終的には未練があっても「捨てたい人」なんだろうと思います。だから出来る。

これは先日の仕事の話とも通じるのかなと思いますが、捨てられる(捨てることが出来る)人は気持ちにそぐわないものを近くに置いておくのが好きでは無いということなのでしょうね。
仕事も然り。
義務や情、あるいは惰性ではなかなか続けることが難しいのでは無いかと思います。



今、私は気分の落ち込みがかなりあるのですが、当然同時に清々しさもあり、おそらく時間の経過とともに落ち込みは消えていくのだろうとの予感もあります。





ところで、本を片付ける前夜に久しぶりに悪い夢を見ました。

指先ほどの赤いだるまが大量に家にやってくるのですが、それが殺人だるまなのです。
だから家に入れてはいけないし、気づかれないように逃げなくてはならない。
しかしすでに何人か殺されているようです。
家には私だけで無くて、何人か居るようなのですがそれが誰だったのか今は覚えていません。
私は窓から家の周囲の大量のだるまを見て、近くに居た人と別の部屋に移動しながら脱出を試みているという内容で、途中で目覚めました。


と、書くと笑ってしまうようなどうってことの無い内容ですが、本人には非常にストレスの大きなものでした。



殺人するだるまというとホラーコミックの神様の言うとおりがあります。
私は読んだことがあるので、そのあたりの記憶が引っ張り出されて来たのかな、とも思います。
ただ、朝になってから何度か夢の内容について考えていて、だるまが目標や決意のシンボルだとすると、いくつかのそれらと決別しようとしている時にこのような夢を見るのは興味深いと感じました。


何はともあれ、空けたスペースには何か新しいものが入ってくるそうです(物理的な意味では無く)。
行動した分だけ行動しなかった場合の未来とは違った未来になることも間違いはありません。