Facebookでは、アクセス時のトップページに時々頼みもしないのに「1年前の今日の投稿」とか「4年前の同じ時期くらいの投稿」を出してきます。
もちろんこれは自分にしか見ることができないものなのですが、
思い出ってポジティブに懐かしいものばっかりじゃない
昨日は友人の新規ポストを見ようとしてアクセスしたところ、去年のGW時に投稿したランチのテーブル写真が出てきました。
あーーーーこれ自宅就業中にイギリス人BFと我が家でランチデートした時のヤツ、、、
忘れてたから懐かしいっちゃ懐かしいけど、ほんっと余計なお世話 笑
どうでもいいし。
余計なお世話といえばこんなことがありました。
4月24日が友人のお誕生日で、遠方に暮らす彼女には毎年何かしらプレゼントを贈っています。
今年は長男が高校生になったこともあり、ささやかな進学祝いと、その他の息子達には進級祝いを併せて贈りました。
私は彼女の夫とも友達なのですが、昨日その夫からお礼と近況伺いのメッセージが来まして、その返信でこちらの忙しい状況を知らせたところ「もう若くないんだから無理するなよ!」と来ました。
余計なお世話
とだけ返信しましたよ。
だって余計なお世話じゃない?
そもそも私にとって夜遅くまで実験するのは「無理」じゃないし、若さって何?笑
好きなことや目の前の仕事に情熱を持って集中して取り組めるのが若さというのであれば、私は胸を張って「若い」って言えるんだけど。
実年齢で若いとか年寄りを判断することって今の世の中で意味あるのかしら?
もちろん、お前は思春期か?と問われればそれは違うと思うけども。
精神面だけでなく肉体面で考えても、多様な選択が許されている世界では個人差が大きくて、安易に他人を推し量れないところがあると思います。
自分自身について考えてみると、非常に不活発(不活性という方がしっくり来ますが)な幼年〜青年期を振り返るとむしろ最近の方が肉体が肉体としての機能を謳歌しているように感じます。
それでも、確かに関節や目は加齢性変化を感じるので、意識的にメンテナンスをするようにしていますけど、かといって他人がカテゴライズする必要ないよね。
そういうのは医学や社会学の統計データだけでいいよ。
もちろん、友人の夫を含めた他人が、その人の価値観の中で私を若い/若くないとカテゴライズすることはその人の勝手だからご自由にと思うけど、その判断を私にぶつけないでよね、と思います。
こういうことは、自分も普段かなり慎重にしているところなので。
話変わってコロナ禍について。
私はもう政府判断とかどうでも良いですね。
自分が残りの人生をどう考えるか。
それによって行動は自ずと定まるのです。
自分で決めたことだから、制限もストレスになりません。
怖いんだか怖くないんだかよくわからない微妙なラインのウィルスで、変異もよくする。
小さ過ぎて見えないし。
相手はそのようなやたらと実態が掴みにくい姿なのです。
それを頭に叩き込んで、自分の身の振り方をそれぞれが真剣に考えたら良いと思います。
私は感染の有無は置いておいて、ネコズのためにも自分自身の未来のためにも「まだ死にたくない」し「元気に働いたり遊んだり食べたりしたい」
とにかくこれはもう絶対なんですね。
そしたら外部からの要請とか関係なく、コントロールできる病気になるまでは注意を払う。
実態が明らかになってくるに従って、払う注意の質も変わってくるだろうと思いますが、それも自分で情報をとって考える。
政治家だって、なんなら専門家にだってよくわからないのだから、そこから有益で有効な指針が出るとは思っていませんね。
むしろ、一番信憑性があると考えていて私の行動の指針にしているは、去年の今頃にハーバード大学から出たこちら。
でも文中にあるように、最低限これ。
なんなら今非常時だから、と取っている行動様式の一部かほとんどがニューノーマルとして定着する可能性も頭の片隅においています。
正直ワクチンもどこまで効果があるのかよくわからないですよ。
コロナには効果があっても、RNAワクチンの長期的な副作用なんか科学者にも予測不能 笑
みんな
上手くいくといいな、いきますように
と祈りながらやっているだけだもの。
その祈りに乗るも良し、独自の道を模索するも良し、です。
そんなこんなでゴールデンウィークが始まりました。
私は前職で行っていた研究を論文にするという重大ミッションがあり、それに没頭できるのはここしかないので、5/1からの9連休を論文執筆に捧げます。
5/6だけは雨子さんを誘って遊びに行った古墳に行く予定です。
当時は何時間もかけて行った古墳ですが、今はバスを乗り継いで40分程度です。
なんなら自転車でも行ける距離です。
最後に、皆様のGWが素敵なものになるようにとの思いを込めて私が心の拠り所にしている写真を貼っておきます。