空飛びラボ日記 Ver.2

研究する人生

涙の理由(ワケ)

先日泣いた大学院生が、あれから私の関知する限り2回泣いたんだけど、その理由がさっぱり分からない。

先日の顛末はこちら

soratobi-neko.hatenablog.com


初回の涙は分かる。
研究的なことを始めてから初の壁にぶち当たり、どうしたらよいのか途方に暮れた、というのはまぁあるだろう。
とは言えその壁も「差があるはずと言われた(エライ人が言った)のに調べてみたら差が無い」というやつで、別に「差は無かったです(あなたの見込み違いでは?)」で済むことなんだけど、最初は差が出ないのは自分が悪いからなのか?エライ人が間違うわけ無いのだから自分がダメなんだ、、、とか深刻に悩む場合もあるのです。


しかしその後も、エライ人と個別面談して方針を話し合ってきた、その報告を私に言いながら泣く。
「今何の実験してるの~?」と聞くと、それに返答しながら目が潤んでいる、という有様。
メンタルが弱っているのでしょうか。


でも本当のところ、研究ほど泣くことから遠いところもない。
事実に感情はないのだから。


私は冷たい人間ではない(と思う)が、感情ではなくて事実に基づいて行動するというのが性に合っているから研究をしているところもあるわけで、そう何度も泣かれると辟易してしまう。
泣いてもデータ出ませんし。
というか、データが欲しいのにも関わらず何回も泣くって言うのは「泣くこととデータが出ることに全くもって何の関係も無い」とうことが理解できていないのだろうなぁ。

倫理的な違反をしない前提ではあるが、データを求めるために出来る(時間的、金銭的等の制約はあるにせよ)工夫は全て試し、得られたデータから全力で読み取ったことをまたフィードバックして、という繰り返しが研究。

感情は、ポジティブなものもネガティブなものも邪魔です。
バイアスがかかってしまうのでね。


良いデータが出たときなどつい嬉しくて興奮してしまうけど、そういうときこそ平常心。
興奮したままだと何か見落とすか、次のステップで間違えるか、たいてい何かやらかします(経験談)。



大体さぁ、
実験室で涙をこぼすなよ。
コンタミ(汚染のこと)するだろっ!