空飛びラボ日記 Ver.2

研究する人生

リュウとハルキ

今週のお題「本棚の中身」

定期的に手持ちの本を整理して、再読しないと思うものは手放しています。
本に対するスペースを増やしたくないというのが一番の理由です。

同じような理由から、最近は小説やコミックスに関しては電子書籍で購入することがほとんどになりました。
それでも、私にとって読書の愉しみの一つには紙のページを捲るというものもあり、どうしてもこれは紙で読みたい、と思う本だってあるのです。


何度かの整理を経るとどうしても捨てることができない好きな作家、作品が出てきます。
私にとっては、海外の作家だとトルストイ、ソルジェーニツィン、F.K ディック、カズオイシグロ、ガルシアマルケス、日本の作家だと中山可穂川上弘美、帚木蓬生、吉村昭安部公房もふと読みたくなるので手放せません。
そして村上龍村上春樹


二人の位置付けは私の中ではだいぶ異なっています。
早熟な子供だった私は、小学6年生で村上龍の「限りなく透明に近いブルー」を読んで衝撃を受け、以来40年ちかくファンです。

思春期の自信の無さや心の弱さは、時に非常に暴力的な龍さんの小説を読むことで励まされたり鍛えられたりしました。
小説に描かれる欲望に忠実な主人公たちに幾度となく衝撃や感銘を受け、その強さに強く憧れました。
自分も強い欲望を持つ子供でしたが、そういうことを肯定してくれる人は周りに居なかったし、当時の教育もむしろ欲望は隠せ、みたいなかんじでした(よね?)。
龍さんの小説を読んで「こうやって生きていいんだ~」って勇気をもらいました。

今読むとまた異なる視点や感想を持つのですが、若かった自分には必要不可欠な小説だったと思います。

また、長く作品を読んでいるので、自分の成長や加齢と共に、作家の、つまり龍さんの人生についても思いを馳せることもよくあります。
サイン会や握手会(を龍さんが行っているかどうかは分かりませんが)にも行かない「読むだけファン」ですが、コロナ禍で体調を崩してないだろうか?もうお年だし、、、、などと不思議と思ってしまうのです。



一方の村上春樹ですが、読み始めたのは30歳になった頃から。
どうしてか私の周囲には春樹ファンの男性が多く、何度も勧められたり押し貸しされたりしたので、10代20代の頃も読もうとはしたのですが全く受け付けませんでした。

かつて強烈に一目惚れした男性(恋は実らず)から「あなたならこの小説で僕が感じたことと同じことを感じてくれると思う」と歯の浮くようなセリフと共に渡された本が「風の歌を聴け」でしたが、その時ですら読み進むことはできなかったくらいダメでした。



ただ、とかく話題になる作家ですし、気にはなっていたのです。
それにタイトルが素敵な小説が多いので、きっかけは忘れてしまいましたが30歳前後にふと手にとった本が「国境の南、太陽の西」でした。

おそらく、当時の恋愛中の心情にフィットしたのだと思いますが、とても気に入り何度か読み返したことを覚えています。

そしてそこから他の作品も読み始めましたが、やはり読むのが苦痛だったりしっくりこないことの方が多かったです。


しかし印象が一変したのがエッセイを読んでからで、小説はほとんど共感できなかったのに、エッセイでの村上春樹の言葉は私も普段よく考えていることと非常に近くて親近感を覚えました。

それからは小説だけでなくエッセイも読むようになりました。
もうほとんど全部読んでいると思いますが、今でも小説はあまり好きではなく、エッセイは非常に共感できる不思議な作家です。



今でも時々、自分にとっての村上龍村上春樹の位置付けについて考えるのですが、当然答えは出ません。
見つけたくて小説やエッセイを読み返すところもあります。
きっと、二人は私の心の全く異なる、しかし重要な部分にそれぞれ影響している作家なのだろうなぁと思います。

ムラカミコーナー

龍さんの本が少ないですが、ハードカバーでもっているものが多いので、別の段に並んでいます。