空飛びラボ日記 Ver.2

研究する人生

いじめは喧嘩じゃない

ジャンポケ斉藤さんのいじめの記事を読んだので、思うところを書きます。

記事はこちら。
news.yahoo.co.jp



私も随分長いこといじめられていました。
いじめられていたのは保育園から中学卒業までなのでおよそ10年でしょうか。



私の場合は無視、嫌がらせの手紙(不幸の手紙がたくさん来るとか 笑)、陰口、呼び出されてつるし上げを食らう程度で暴力的なことはほとんどありませんでした。。。。

と、ここまで書いて、いやしかしなんか怪我したことあったような、、、と過去をたどってみましたところ、体育の授業中に二人一組の倒立で相手が受けなかったためそのまま仰向け転倒し両足を捻挫。松葉杖通学になったということを思い出しました。
組んでいた相手は積極的ないじめっ子ではなかったのでいじめとは無関係だったかも知れません。が。


私が倒立したときに脚を支えるはずだった相手は「怖くてよけてしまった」とかで(ふざけんなって感じですが)、私も「ひどい!」と抗議した記憶はおぼろげにあるのですが、怪我をしているから教師に付き添われてすぐ病院に行き、状況や原因についてはうやむやになってしまったような気がします。

結局ただの授業中の怪我って感じで終わっちゃったんですよね。
教師はうちの親には謝ったと思いますが、まだまだ学校の方が強い時代でしたから。
捻挫で済みましたが下手したらもっとひどい怪我をしていた可能性だってあるわけで、今の時代なら学校相手にかなり大きな問題ですよ。


いじめに話を戻しますと、私は友達が全く居なかった訳ではないのですが、立ち位置が変わっていたのか気に障る感じで目立っていたのでしょう。

派手だったり発言力があるグループには属していないものの決して地味で大人しい訳でもない。
成績は良いけど、典型的な優等生グループでもない(教師にえこひいきされるわけでもない)。
いつも自分のしたいことをしていて、基本的に女王様の言うことは聞かない。
一人でいても平気そう(実際平気でしたが)。

異物って感じだったのでしょうねぇ。


だからといっていじめて良いわけではありません。
でも子供ってその辺は未熟なので「なんか違う」って思うと排斥したがるのは分かる。
「なんか違う」が憧れの方向に行けばいいのですが、そうでない場合は恐怖になるから排除しようとするのでは?と思います。


およそ10年のいじめの中で一番長く続いて、一番嫌な記憶として思い出すことが多いのは中二の時です。
捻挫したのもこの時。

通年で無視されていたように記憶しています。

朝、私が教室に入ると全員廊下に出ちゃう。
それで担任が来るまで、私だけが教室で席に着いていて、他の40人以上は廊下でおしゃべりしている。
当然担任は異常に気がつくはずですけど、何もしなかったどころか脚を怪我したときにこいつは「これまでの自分を振り返って、良い機会だからクラスメートに助けてもらえ」って言ったんですよ。

振り返ってって私が悪いんかい? 笑


ジャンポケ斉藤さんもいじめられる方にも原因が的なことを教師に言われたみたいですが、どこにでもこういうクソ教師はいるんですよ。
むしろ私の小中学校時代を通してクソじゃなかった教師は2人しか居ません。



話は変わりますが、ジョディーフォスター主演の問題作として話題になった「告発の行方」という映画があります。

Wkipediaに本質的なことが全く書かれていないのでリンクを張るのは止めますが、気になる人は調べて下さい。


この映画で裁かれるべきは当然主人公をレイプした加害者達なのですが、それだけでなく周りにいた見物人達も同罪でしょ?加害者でしょ?というところが話題作品になった一つの理由なんです。




私は常々思うのですが、いじめの首謀者は当然は悪い。
でも、私のことが嫌いでいじめる人と私、一対一ならいじめじゃなくて喧嘩なんです。タイマンなんですよ。


だけどそこに金魚の糞がたくさんくっつくといじめになってしまう。
金魚の糞にならないまでも、関わらないでおこうと傍観しているひとが増えるとますますいじめの構造が確立されてしまう。


私はね、私のことが嫌いで仕掛けてきた首謀者よりも、その取り巻きとか傍観していた多くのクラスメートとか教師の方が憎いです。
今でも。

それで、世の中の多くの人は傍観者として生きてきたんじゃないの?と思ってしまうから、人に対する根強い不信感があります。
私の中の消えない人間不信が隠していても相手に微妙に伝わってしまい、色んなところで今でも私の足を引っ張っているのは理解していますが、損なわれてしまった部分は取り戻せないしどうしようも無いのですよね。


いじめを受けた方がどうして欠損を抱えながら生きていかなくてはならないのでしょうか。



ジャンポケ斉藤さんは一生恨みは消えないとおっしゃっていました。
自分はというと、例えば相手が不幸になれば良いなどと思うことはありません。


だけど、もし私をいじめた人、知りながら傍観した人(たくさん居すぎ)が瀕死の状態で目の前に転がっていても助けないな、跨いで行っちゃうなと思います。



いじめは(レイプやDVも同様)こういう心が冷えた人間を作ってしまう。それも罪深いことです。


ここから追記*************

非常に根深い人間不信を抱えながら生きている私ですが、どうして人を育てようとするのか?若者にエールを送りたいのか。
気持ちの99%では人間という生き物(もちろん自分を含む)はクソで、いつ滅んでも良いと思っているのですが1%だけ希望があるからです。

それは、10年間の断続的ないじめの中でたった一人「みんなは間違っている」と声を上げてくれた人がいるから。
問題の中学2年の途中で転校してきて、数ヶ月でまた転校してしまった彼女だけは「どうして空ネコさんが仲間はずれにされているのか?」「理由もないのにクラス全体で無視するのは間違っている」とはっきり言ってくれました。
まぁ事態は変わらなかったのですが。

彼女は余りにも短期間のクラスメートだったため、私にとっても印象が薄く正直感謝するというところまでも行っていないのです。
でも、真に勇気のある人とは彼女のような人のことだと思いますし、もし、人間がクソな生き物ではないとするならば彼女のような存在も居るからです。


彼女の発した「みんながおかしい」という言葉が無ければ私は無差別殺人でも犯していたかも知れません。
しかしそうならず、まがりなりにも若手を育てようという気持ちを持って生きているのはたった一人の存在があったから。

逆に言えば、苦しんでいる人の心に光を感じさせることができるひとがたった一人いれば、その人は精神を損なうかも知れないけど完全なモンスターにならずに済むのかも知れない。