「ゆとり」という言葉が嫌いです。
ゆとりのある生活、のゆとりではなくて、ゆとり教育を一言で言い表している「ゆとり」という言葉の方です。
ゆとりという言葉自体はむしろいいイメージがあるのに「ゆとり(教育)」という時、その中にものすごく侮蔑的なニュアンスを感じるのはなぜでしょうね?
知人に私大の講師をしているヒトがいますが、彼女と今時の学生について話をすると、彼女の口からしょっちゅうこの「ゆとり」が出てきます。ものすごく憎々しげに「あの子達は『ゆとり』だからね」と言っています。
ネットでも青少年や子供の犯罪や奇行が取り上げられるたびに「ゆとり」と言われています。
何でもかんでも全部、ゆとり教育のせいなんですかね?
簡単過ぎると思うんです。。。。
うまく言えませんが、教育ってたった一つの単語に押し込めて語るようなものでしょうか。
文科省が決めたある一定の教育を受けてきた子供達が非難されるようなことでしょうか。
足りないところがあるならどのように補って伸ばしていこうとか、そういう前向きなことを言いたいし、考えたいですね、私は。