空飛びラボ日記 Ver.2

研究する人生

小さな同窓会に行ってきた

3歳から28歳まで東京で過ごしたので、義務教育時代の同級生の多くは東京にいます。
50歳を過ぎるとサラリーマンも起業組も、仕事や家庭が落ち着いてくる人が多いのかちらほらと同窓会の話を聞くようになります。
また、同窓会というほどでなくても地元からあまり離れずに暮らしている人たちは恩師のお葬式で久し振りの再会を果たし、そこから付き合いが再燃して定期的に飲んでいる人もいるようです。
特に、起業した人たちの多くは仕事上の同期というものが存在しないので、事業も軌道に乗ってきて余裕が出て来た時に遊ぶ相手となると幼馴染み、となる場合も多いよう。

面白いのは、飲み仲間になっている人たちが必ずしも幼少期、青年期に仲が良かったわけではない、ということ。
大人になって色々経験したあとだと、勉強ができるとか実家の経済レベルはどうでもよくて、一緒に時間を過ごして面白いかどうかってことに重点が置かれるのでしょうね。
というか、そのように価値観が変化した人は付き合う相手が変わっているようです。
もちろんいつまでも自分の属性からはみ出せない人もいますが。


私には5年ほど前からFBを通じて時々絡んでくれる小学校・中学校を一緒に過ごした同級生が二人います。
二人とも男性で、片方(H君としましょう)は同じ公務員住宅に暮らしていたので彼のお母さんとも話すような関係でしたが、高校以降は別になり自然と疎遠に。それでも大学時代に敷地内で偶然出会うこともあり、そういう時は互いの近況について長い時間立ち話しをしたものでした。
もう片方(I君)はいわゆる不良だったので、同級生として普通に話はしていたけど中学校卒業と同時に関係は切れてしまった人。

とはいえその二人は小学校の三年間(私は3年生の一学期途中に転校して来たため)、中学校三年間の計六年間のうち四年間同じクラスだったので、まぁまぁよく知った同級生ではありました。


うろ覚えですが、最初にH君がFBで私を見つけてくれて関係が復活したと思います。
その後、H君経由でI君とも繋がったんです。
互いの写真にポチポチして、たまにコメント欄でやり取りするだけででしたが、少し前ににH君から「いつもIと飲んでるんだけど、たまには他のヤツも呼ぼうって話になって、空ネコがいいんじゃないってなったけど来れる?」と連絡がありました。

その時は非常に重要なミッションを抱えていた時だったので行くのは難しいと断ったのですが、せっかく思い出して声をかけてくれたのに悪かったなという思いが残っていました。
最近身辺が落ち着いたので連絡してみると、すぐに飲み会をセッティングしてくれたので火曜日に新幹線で上野まで行ってきました。
新幹線で行くと19時から22時まで飲めるんですよね。


3人で飲んでいて、なんだか変な取り合わせだなと思いました。特にH君とI君が並んでいるというのは子供の頃は見たことがないし、二人の会話から私の呼ぼうという流れもよく分からないのですが、紛れもなく気が合う感じで、これは子供の頃は分からなかったなぁ。
いや、厳密にいえば、私はH君とは学校内外でもよく話していたし、I君とも教室内で話が盛り上がった記憶はあるのですが、男女の枠を超えて気の合う人間として認識したかというと、それはなかった。

面白いことに、HくんもI君も業種は違いますが自分で起業した人で、私は組織に属しているけど普通の会社員とは異なり独立性の高い仕事なので、その辺の「経済的な不安定<好きなことを好きにやりたい」という感性も共通しているのかなと、帰宅時につらつらと考えました。




子供が自死するニュースを目にするたびに、子供時代なんてほんのいっときで、息を止めて目をつぶってやり過ごせばいいんだよ!って切に思います。
もちろん行政が介入しなかればならないような緊急案件はまた別ですが。

やり過ごしてもいいし、逃げたっていいけど、死んじゃダメ。
私も何度も死ぬことは考えてきたけど、死んだら苦しいことは終わるかも知れないけど、楽しいことや面白いことに巡り会うこともゼロになってしまうからなー。
ニンゲンの顔は見なくても良いけど、ネコやイヌだけでなくて他の動物とか鳥とか爬虫類とか昆虫をまじまじ観察できなくなるのはだいぶつまらないもんなーー。
植物や鉱物もまだまだ眺めたいもんねー。

まぁ、基本はしんどいことが多いのが人生とは思うけど、自分も周りも価値観って変わっていくし、全然予想通りには展開しないよと伝えたいけど。
自死する子供が増えているということは、そういうことを教えられる大人が減っているってことなのかな。