空飛びラボ日記 Ver.2

研究する人生

人事評価:あらゆる評価について思うこと

はてなフレンドさんのブログを読んでいて思ったこと。

私はフレンドさんの記事には全面的に賛成、というか彼が何を言いたいのか、現実とは所詮そういうものと言うことは同感だったのですが、色々反論もあったようで。

んで、「科学的指標による人事評価の確立は絶対に不可欠」という意見を出している人がおられて、まぁそりゃそうなんだけど、万人を公平にはかれるようなものさしが、あるのかと思いました。科学的?科学的だから公平だというのは全くの誤解で、科学だってパラメータの取り方によって評価なんかいかようにも変えられるよ。

科学だろうが思想だろうが、結局人間が作ったものなのだから、何らかのバイアスという限界からは絶対に逃れられないと思うんだよね。
人生なんて、自分にはどうしようもない、自分にとっては面白くない、外側から押しつけられた制限のもとでどう力を発揮するか、喜びを見いだすか、または激しく面白くないならそれと戦うかってことに尽きると思うんだけど。
だけど、どんなに戦ったとしても今の社会には絶対的な公平さなんか生まれてこないと思う。


ほとんど全ての生き物は最初から多様なんであって、会社とか組織は多様なものを画一的に捉えて共同体として進まなきゃいけないわけで、その成り立ちからして大いなる矛盾をはらんだものなのは間違いないでしょう。だから、こちらを立てればあちらが立たず、になることは当たり前なわけで、たまたま自分が「あちら」側に入ったからと言って、それは不運だったね、ということでしかないと思う。
私だって色々と文句は言うが、文句が出るのは自分が立たせて貰えない「あちら」にいるからであって、おそらく立たせて貰える側にいたら口では不公平は良くないと言いつつも、自分の安泰に対しては喜ぶし覆らないで欲しいと思うな、多分。



まぁ、物差しが自分に合わないと文句を言い続けて生きるもまた人生と思うけど、私は他人の物差しは他人の物差しだけど、自分の物差しで自分を査定しているから、他人にどう評価されても、それはそれ、としか思わない。
時には他人の物差しで思いもかけない高評価を得ることだってあるんだし、、、、低評価に対してだけ目くじら立てるというのもね。なにかヘン。

感情的には面白くないのは理解できるけども、、、、他人は他人の目を通してしかものを見ることは出来ないし、私は私の目を通してしか見られない。同じめでも景色は違うんだよね。



もちろん、見方を変えたり広げたりするために様々な文化や思想があるんだけど、それらを取り入れて見方を変えようと試みるかどうかは全く個人的な問題だし。ようするに、自分は自分から出ていくことは出来ないっていうか。なら、他人の物差しなんか自分にとってはごく小さなファクターに過ぎないんだよね。
でも、小さなファクターでも社会的には比較的重要なポイントに関わっていたりする場合もあるけど(仕事とか)、それはちょっと運が悪かったなくらいに捉えるのが良いと思う。
さらにどうしても高評価を受けたいなら相手の物差しに合わせればいいと思う。

そもそも、自分を変えずに相手に変われと要求するのは傲慢だな。

自分も変えたくない、なら相手も変わらないだろうことは容易に想像できるわけで、それならすれ違って生きるしかないし、そう覚悟するしかないと思うのだが。。。。


なんか、とりとめ無くなっちゃったけど、公平で絶対的な評価なんかどこにもないってこと。
私も科学者の端くれだけど、論理に裏打ちされた科学研究だって、「ある一定の条件の下」での「真理」しかわからないんだもん。

絶対なんてものは、あるかも知れないけど、そうそう簡単に手の届くところには無いと思うョ。