空飛びラボ日記 Ver.2

研究する人生

2023年 明けました

はてなブログ的明けましておめでとうございます。


仕事に忙殺された年末、ブログを書く気力は完全に奪われました(書きかけのブログがあるのに!)。

今年も学生が増える予定なので、さらに忙しくなる予感。ブログ更新が滞る予感しかありませんが、たまに覗きに来ていただければ嬉しいです。


コメントをいただけると、書こうかな?という気持ちが強くなるかも知れません 笑


忙しくともワタクシはすこぶる元気、ネコズも元気。

ワタクシは昨年晩秋からまた日々のランニングを再開し、三が日は毎日10キロ走りました。
ネコズは2匹とも健康診断とワクチン接種を行い、加えてテオはスケーリングも済ませ、本格的なシニア生活に備えました。


こうして新年くらい何か書こうとしている今もまさに仕事中なので(仕事始めから残業)、とにかく体力、とにかく健康という感じですが、明るい気持ちは失わずに生きていこうと思います。

本年もどうぞよろしくお願いいたします

めっちゃ「先生」だった一日

今日、元々は正しくクレームを付けることの有用性について書くつもりだったんですよね~

でもなんかちょっとモヤッとすることがあって、違うことをチョロチョロッと書いてしまったわけですが、その後文書の添削とスライドの添削がドッと来て、今(21時半)までかかりました。


申請書やスライドの添削は、経験上最初が肝心だと思うので、なぜその表現ではダメなのか、とか、こっちの文言の方が意図が伝わりやすい理由とか、かなり丁寧にコメントに書きます。
そう、私は優しい先生、育てる先生なんだよ。。。


本人は出涸らしになります。



もう今日は文章を書きたくない、、、、、




サヨナラサヨナラサヨナラ

勉強好きなことを非難する人たち

勉強が好きだったり、勉強が出来ることを非難したり揶揄したりする人が一定の割合で居る。
どこの国にも居るのだろうと思うが、日本はその割合が多いのではないか?と感じている。


小中学校の時に私を虐めていた輩(あえて輩と言いたい)も大半はこのような人たちだった。

そのような人たちはだいたいこのように言う。

「勉強できるって偉いの?」
「勉強が出来るからって人として素晴らしいかどうか分からない」
「勉強しか能が無い」


だけど、勉強が好きな人って、ごく一部、しかもその一部にしても幼い頃を除けば「勉強できるから自分は偉い」なんて考えないし、言ってない。
だって好きなことをやっているだけだから。

サッカー好きやアイドル好きは肯定されるのに、勉強好きは揶揄されるのはなぜか?
あえて明言しないけど、揶揄している方の心に問題があると思う。



私が中学に入学した時、担任が数学教師だった。この先生は数学パズルが好きな人だったので、最初のホームルームでみんなにクロスパズルをやらせた。


一番に解いたのが私だった。
答えは正解で、思っていた以上に早く解いたので先生は大変喜んだが、多くの男子には「えー女が一番に解いたのかよ」と言われ(時代だねー)、女子には「数学出来たってモテるのとは関係ないよね」と言われた。そりゃそうだろうwww 誰もそんなこと言ってないし思ってないよ。
もちろん「よぉーしライバルだ!」と競い合う相手として認識してくれた人も何人かいたがみんな男子だったように思う。


その後の中間テストではクラスで一番を取ったが、というか「取ったので」と言った方が良いのか?wこれで完全に女子からは仲間はずれにされて中学3年の最初まで続いた。
笑っちゃうことにイジメは受験の空気が強くなると消えていき、媚びてくる人が増えた(人間不信の原点)。



このまま色々書いていると、小説並みに長くなってしまうので適当に切り上げるけど、「数学出来たってモテるのと関係ないよね」と「IQ高いのと人間的魅力は違う」と何が違うのか?
私には全く同じに聞こえる。

それってレッテルを否定しているようで、ただの逆張りではないのか?


で、そういうことを言う人は大抵テスト的なものを受けないから、どんなものかも分からずに言っている。受けないくせに馬鹿にする。
やっている方としては、テストで計れるものが人間的魅力では無く、ある種の能力だということがよく分かるから、絶対にそんなこと言わないけどね。
そもそも、自分の人としての魅力を測りたいと思ってテストを受けている人はいないのではないか?


しかし本当にIQと人間的な魅力は本当に関係ないのだろうか?

実は私はそうは思わない。
(あとで続けます)

生まれて初めての大凶と深夜の訪問

お題「これまで生きてきて「死ぬかと思った」瞬間はありますか?身体的なものでも精神的なものでも」

「みんなのお題に答えてみよう」というの見つけ、面白そうなのでやってみます。

少し考えて思いついたのは2つありました。

一つ目
当時私は任期がある仕事をしていました(今もあまり変わりませんが)。
任期が切れる前に次の仕事を見つけなければならないのに、書類で落とされ面接で落とされ一向にポジションが決まりませんでした。
年度末の3月で追い出されてしまえば、自宅暮らしではなかったので無職のまま支出だけが存在する生活に突入してしまいます。ネコ5匹も居るのに、、、、!

そうこうしているうちに年末が来て年が明け、初詣に行き、今後を占うために気合いを入れて引いたおみくじが大凶だったとき、一瞬頭がカッと熱くなり、次の瞬間血の気が引いたのかよろけてしまいました。
禍々しい大凶の文字をなるべく見ないようにしてなんとか気を奮い立たせて読んだおみくじには「行く道に迷う」とあり、私は再度倒れそうになりました。
その時は本当にこのまま意識を失ってどうにかなるのではないかと思ってしまいました。

その後、年度末ぎりぎりに新しい仕事が決まりましたが、なかなか問題のある職場で、数年間は人生どん底状態でした。。。


二つ目
こちらはまた別の恐怖体験で、比較的最近の話しです。
お隣に新しい人が越してきて、挨拶に来られたときに「なんとなく様子がおかしい感じ、、、」とは思ったのです。
とは言えご夫婦だし、ご近所づきあいの基準が少し違うだけかもと気にしていませんでした。

そうしたら、これと言った理由もなく奥さんの方に粘着されてしまいました。
最初は、帰宅を狙ってスーパーで買った野菜などを持ってきたりして、その次は早朝に「(私の)夫を出せ!」と突撃されました。
ちなみに私は独身ですwww

何度挨拶に来ても彼女が勝手に居ると思い込んでいる夫(幻)が出てこないので頭にきたと思われます。

そして最後は深夜にドアノブをガチャガチャと回されました。
チャイムならまだマシだったのですが、どうして入ってこようとするのか?!
さすがにこの時は警察に連絡し「事故ですか?事件ですか?」の問いかけに「やっぱりそう聞くんだ」と思いつつ、「た、たぶん、じ、事件です!」と答える声は震えてました。

その間もずっとドアノブはガチャガチャ言っていて、鍵はかかっているのに開いてしまうんじゃないかとものすごい恐怖!頭の中はシャイニングの映像が流れていました。
ちなみにネコ達もみんな怯えてました。

さすがに管理会社も動いてくれて、夫婦は転居していきましたが、本当に怖かった。
警察が来てドアを開けたときは玄関先で腰が抜けてしまいましたし、警察官がヒーローに見えて好きになってしまいそうでした、マジで 笑


その後、騒動がおさまって1年近く経ちますが、今でも夜は玄関のドアノブをじっと見つめてしまう私とネコ達です。
トラウマになってしまいました。

仙台は良いところだった

金曜日、一度帰宅してネコ達のお世話、シャワー、食事を済ませてから夜行バスで仙台に行ってきました。

旅行支援が使えたら遅い時間の新幹線で行って仙台(あるいは福島)で一泊しても良かったのですが、東北地方の支援枠は軒並み早々に上限に達していて使えず、ま、安いしねと言うことで夜行バスにしました。

バスは大宮発なので、そこまではJRで移動します。
以前は前橋ー仙台という便が運行していたらしいですが、コロナで中止になっているらしい。


三列シートの真ん中、しかもやや後方という、乗り物酔いがひどい体質としてはちょっと心配になる席でしたが、なんとか大丈夫。うつらうつらとしているうちに到着しました。
5時間半ですのであっという間です。


問題なのは、朝5時半に到着してどうするんだ?ってことですが、とりあえず身支度のためにシャワーがある漫喫に行く、とかシャワープランがあるカプセルホテルに行くとか考えて調べていましたが、着いたらなんだか面倒になり早朝で利用者も少ないのを良いことに、駅のトイレで洗顔、歯磨き、化粧を済ませてしまいました。

しかし、ゆっくり身支度をしてもまだ6時過ぎ。

仙台駅構内に7時過ぎ開店で芋煮が食べられるカフェがあり、朝ご飯はそこでと決めていたので、時間を潰さなくてはなりません。
幸い、思ったよりは気温が低くなく、外で過ごしていても全然寒くなかったので、仙台駅西口と東口を繋ぐコンコースにあるベンチで読書をすることにしました。
同じことを考えているであろうヒト達が何人も居て、皆さんスマホとか新聞とか片手に陣取っていました。


そこで持っていったエッセイをだいたい読み終わり、良い時間になったのでお店に向かいました。
土曜日とは言え7時ともなればだいぶ人も増えて賑やかな駅を眺めながら「やっぱり仙台は暮らしやすそうだし、良いところだな」と思いました。
個人的には、仙台暮らし時代は「人生3回目の地獄」と名付けているくらいキツかった時期なので嫌な思い出の方が多いのですが、だからこそ助けてくれた人の印象も強くあります。

思い返すと、意外と苦しんでいたときの方が思い出としては懐かしさがあったり(愛着というのではないが)、残る人間関係が出来ていたりするかも知れません。
苦しいときの方が他人を必要としますしね。。。


今なんて、仕事の責任はたくさんあっても虐めてきたりプレッシャーかけて来る人はいないので、メンタルが安定していて苦しみは無いので「プライベートの人間関係が皆無だな、、」とは思っても「まぁ別にそんなことどうでも良いか。一人も楽しいし」と思いますもんね。


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仙台ではしんどい中で一緒に仕事をした元同僚(とその子供)に会うことが目的で行ってきたのですが、そのほかに、何度も私の愚痴や悩みを聞いて一緒にお酒を飲んでくれた先生とも久しぶりに会ってきました。


コロナも落ち着かず第8波の兆しも伝えられ始めている中で、誰とどう付き合っていくかについて考えている人は少なくないと思います。
特に知人があちこちに散らばっている場合、相手も自分も出張や旅行で自由に動けるなら何かのついでに会うと言うこともできるのでしょうが、そうも行かなくなったときに年に1度会う程度で継続されてきた関係が無くなることもあると思うんですよね。


少ない機会を誰に割り振るか、は悩ましいところですが、私の場合は、関係を継続したい相手かどうかはもちろんですが、このまま死に別れになったとして自分の中で納得できるかどうかが基準になりつつあります。
例えば、今回お目にかかってきた先生は60歳を過ぎていてお元気だけど、突然何があるか分からない年齢になりつつあると思いますが、前回話をしたのは6年も前になります。
この先生とは本当にたくさんの時間をかけて様々なことについて語り合ってきたのですが、もう一度サイエンスの行く末や、人生が終わっていく中で研究者(あるいは元研究者)としてどうやって生きていきたいのか、みたいな話しをどうしてもしたかったんです。
で、3時間ほど付き合っていただいて手を振りながら別れるときに「次会うときが先生のお葬式でも、もう悔いは無い」と思いました。
お葬式とか失礼な話しですし、もちろん、自由に会えるときがまた来て飲みながら語り合えたら嬉しいですが来ないかも知れないですからね。


元同僚は、実際は同僚というか部下に近い関係なのですが、私が仙台を離れたあとに結婚して子供を産んでと人生のイベントが色々あった人でした。
決して友達という関係では無いと思いますが、結婚前には私に付き合っている人の人となりを見て欲しいと会う機会を設けられたり、自身の体調についての悩みを何度か聞いたりと、何か頼れる存在と思われているようなので、私も気にはしていて、彼女に会うのはもちろんですが、子供の顔も見ておかないとと思っていたのです。

これまたちょっとシビアな話しですが、彼女は両親を比較的若年性のガンで亡くしていて、彼女自身の腫瘍マーカーの値も低くはないので、突然何があってもおかしくないと考えています。
そんなこと無い方が良いに決まっていますが、確率を考えると何かしらの覚悟は持つ必要があると思いますし、例えば小さな子供を抱えてお父さんだけになったときに自分に何が出来るか、なども、そもそも私とお父さん(彼女の夫)が意思疎通できる間柄でないと成り立ちませんから、会う優先順位としては高かった。
彼女に対しては、つかず離れずの距離で寄り添いたい気持ちがあるので、今後も会うと思いますが。



土曜日の夕方には群馬に向けて出発したため短い滞在でしたが有意義でした。

短時間のうちでの乗り物滞在時間が長かったので、帰りは酔いで身体が保たず、大宮からのJRを途中で2度も降りて駅で休息しながら移動したため、23時を過ぎての帰宅になってしまいました。


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話しは急カーブしますが、三浦半島の農家から片浦レモンという品種のレモンを定期購入しています。
8月9月は収穫期ではないためお休みで、10月から再開の連絡が来ていました。
で、10月はまだ青いグリーンレモンなんですね。

この時期だけの緑のレモンで何を作ろうか考えまして、皮はリモンチェッロ、果汁は搾って塩レモンポン酢にすることにしました。

リモンチェッロはイタリアのレモンのリキュールです。
ja.wikipedia.org


一般的なリモンチェッロは黄色ですが、グリーンレモンで作ると黄緑色になります。
先週から仕込み、この週末にシロップと混ぜて仕上げをしました。今は熟成中です。

96%ウォッカスピリタスに浸けています
一週間後の抽出液。緑色!!!
皮は色が抜け、脱水されてパリパリです
シロップと混ぜたところ。シロップは高級砂糖の無垢の星濤で作りました。

www.okageshop.com

瓶に詰めて熟成させます。週末には飲めるかな?


第2弾やろうかと思っているのですが、雨子さん、飲む??