空飛びラボ日記 Ver.2

研究する人生

ミトの四十九日でした

6月5日はミトの四十九日でした。
この日までは毎日お水とご飯(ドライフード)をお供えしてきましたが、これからは各々の命日のみご飯をお供えして、普段はお水だけにするつもりです(誰かさんが積極的に食べるので、、、笑)。


生まれ変わりというのは、それを身近で体験していないと到底信じることは出来ない眉唾なことだと思いますが、私はやっぱりミトはみぃこの生まれ変わりだと思うんですよね。

だからまたどこかでミトが我が家に来てくれないかなぁ、なんて思うこともあり、遺影に向かって何度か「また来ても良いんだよ」と話しかけたりしました。
正直、亡くなったコ達みんな戻ってきてくれたって良いのですが、例えばさつきなんかは生まれ変わりは無いだろうという気がします。
特別な結びつきがあったネコでしたが、骨壺を眺めていても不思議ともう一度一緒に暮らすという感じはありません。
さつきは「ネコとして生きるのはもういいよ」と言っている気がします。


ミトはどうかな。
今のところ五分五分でまた来てくれそうな感じもするのですが。

在りし日のミト


それにしても、一緒に16年も暮らすってよく考えるととても長い。
私は両親や弟との具体的な生活の記憶は小学生で断片的なものがあるくらいで、ある程度継続的な、となると中学生以降です。
そう考えると、そこから一人暮らしするまででって10数年しか無いですから、ネコ達との暮らしの方が自分の人生の中では思い出が多くて感覚としては長いです。

そうやって、長く一緒に生きてきた相棒達がイキイキと元気に走り回っていたと思ったら、ふと気がつくと眠る時間が長くなり、痩せてきて病気が見つかって、、、、って、そういう経過を何度も経験するというのは苦しいものです。
今、最先端生命科学の領域ではヒトは老いなくなる、死ななくなる、ということが現実味を帯びてきています。

だけど、老いないっていいことなんでしょうか?死なないって幸せなんでしょうか?
簡単に答えは出ませんが。


私は、私の相棒だって長生きできなくちゃぁ意味が無いよと思います。
何匹も飼えば良いじゃ無いかと言う人もいるかも知れませんが、自分の寿命が3倍に延びて、看取りの回数が3倍になると想像すると、すっごく辛いですね。
看取りの前にはもちろん救える命が3倍になるということがあったりするわけですが、それでも。

手前からトト、ミト、さつき、テオ、七味


最期のコを看取って、身辺整理が済んだら旅立ちたいものです。