空飛びラボ日記 Ver.2

研究する人生

【読書感想】高山真 エゴイスト

学生さんが映画を観てくれと勧めてくるので、観るかどうかは別として(観ないんかいw)原作を読んでみましょうということで読みました。

さほど長くない作品で、物語も難解では無く、さらっと2時間ほどで読み終えました。



映画も評判が良いようなので詳しい内容に言及するのは避けようと思いますが、簡単に言ってしまうと自分の心を満たすために(心の欠落を埋めるために)誰か(何か)を大切にしたり、優しくするのは、行為者側から観ればエゴイスティックな行動かも知れないが、受益者がそのことを本心から喜び幸せに思っているならばそれはエゴでは無くて愛と言っていいんじゃ無いか、ということを伝えている話。

物語は、同性愛者である主人公と恋人、その母親を軸に進行しますので、映画の宣伝はそこにスポットを当てたものになっていますが、小説の本質は愛は自分のためなのか他者のためなのか、と言うところかと思います。

好きになった対象に優しくしたいとか困っていたら助けたいとか普通にわき上がる気持ちですけど、果たしてそれは本当に相手にプラスになることなのか?
喜ぶ顔を見て嬉しいのは自分だし、手を差しのばした結果、危険から遠ざかった相手を見て安堵するのは自分だし、お礼を言われたら満たされるのは自分だし、ね。

でも、もしかしたら自分の関与が相手の生き方を歪めてしまったのだとしたら、そう思うようなことが未来で起きてしまったとしたら、果たして自分の行為は自分のためだったのか(エゴ)、相手のためと言えたのか?相手のことを理解しよう大切にしようと考えるほど悩むのは普遍的テーマですね。
恋に限らず、子育てでも、職場でも関係性が生じるところには必ず生まれる問題だと思います。



主人公は子供の頃に母親を病気で亡くしていて、仏壇に手を合わせるとき、お墓参りの時、心の中で母親を思うときに口癖のように「ごめんなさい」と言います。
小説では(おそらく映画でも)一見「お母さんが望んだように普通の男のに育たなくてごめんなさい」という言葉のように描かれていますが、そうではなくて自分のエゴばかりの生き方でごめんなさい、と言っているように私には受け取れました。


というのは、私も毎日のようにごめん、と心で言いながら生きているから。


私の謝罪の対象は広くは人間以外の生物や地球そのものですが、狭義では私と共に暮らしてきた生き物たちです。
人間よりもそれ以外の生き物の方が好きだから身近で一緒に暮らしたいと望んでそうしてきましたが、それがそもそも私のエゴですし。
ネコだけでは無く、子供の頃から見たらおびただしい数の生き物を本来の生きる場所から離して自由を奪ってきています。
そりゃあ飢えさせては居ません(いや子供の頃は金魚を飢え死にさせたこともあった。もう地獄に行くしかない)、雨風からも守っていますけど、相手はそんなの本当はどうでも良いって思っているかも知れないじゃ無いですか、、、、
ネコズだって、ネコズから私の家に来たコや職場の玄関前で待ち構えていたコもいますけど、本音はご飯食べさせて欲しいだけだったかも知れないじゃ無いですか?

人間はまだ良いですよ。少なくとも生きていれば「エゴだよね、ごめん」に対して「そんなこと無いよ、自分も本当に嬉しい、助かった」と答えてくれるじゃ無いですか?

でも人語を話さない生き物はどうなんですか?
しかも行動の自由を奪っているだけで無くて、ネコなんかは繁殖させないための手術を、、、これをエゴで無くて何というのか。

だからもう謝るしか無いですし、それでもそばに来てくれたり遊びに誘ってくれたりすることに感謝しかありません。


動物は知能が高くないからそういうことも受け入れているんだろうと考えている人もいますけど、私はそうは思わない。
赦されているだけなんですよ。。。。。むしろ人間なんかよりももっと高尚な存在なんです。

ちょっと脱線しましたが、読みながらそんなことを考えてました。






作者はおそらく私と同い年のエッセイストで、2020年に肝臓癌で亡くなっています。
肝臓癌が分かったのは2015年と言うことでしたので、エゴイストを執筆されていたときは癌の治療中だったのかも知れません。
病気の描写が、死に近づいていっている人のものだろうと感じさせる凄みがありましたので。

高山真さんご自身も同性愛者だったようで、自伝的小説なのでは?などそういうところにフォーカスした記事も少なくありませんが、関係性の種類は問題では無く、人間は多くの場合自分のためにしか他者を愛せない生き物(有形無形の見返りを求めてしまう生き物とも言える)、でもその愛がちゃんと「愛」として受け取ってもらえるならばそれはエゴでは無くて紛れもない愛なのだろう、というお話です。


ただやっぱりね、何度も言いますが私はこういう人間の性質は嫌いです、自分を含めて。
どう足掻いても脱却できませんし、背負い続けなくてはならない「業」だと思っています。