オクトを連れてきていただいたボランティアさんに、ベランダで日向ぼっこをしている写真を送ったらたいそう喜んでおられたけど、逆にオクトがこれまで過ごしていたところでは全く太陽の光が入らない場所だったと知らされて私の方は落ち込んでしまいました。
16歳といえば結構高齢ですが、健康管理に気をつけている家で暮らしてるネコはまだまだ元気なコも多いです。
オクトは腎不全もありますが、満足に体も伸ばせないような狭くて不潔なケージで4年も我慢を強いられながら暮らしていたせいか大人しく、何より感情の発露に乏しい。
でもこれは動物に限ったことではないですね。ヒトでも同じです。
虐待とかネグレクトとか監禁とか、自由意志を奪われ続ける時、いちいち傷ついていたら消耗して命を落としてしまうかもしれません。
だから、生き物は自分を守るために感情がフラットになるのではないでしょうか。
皆さんもそういえばと思い当たるのではないかと思いますが、心が死んだようになっていると瞳が奥に引っ込む感じになります。
絵画とかコミックスとかでも、そういう絵を見たことがある人多いのでは?
逆に、目をカッと開いてギョロギョロと見回しているような人の心が死んでいる、閉じていると言われてもピンと来ないですよね。
これ以上傷つかないために何も感じないようにしようとなる時、実際に肉体の変化として瞳も何も見ないようにその機能を落とすのかもしれません。
オクトにも、我が家に連れてこられキャリーから出た時、目がずいぶん落ち窪んでいるという印象を持ちました。
夜だったからというのももちろんありますが、瞳が奥にあるのと始終伏目がちなせいで表情が読めないネコだなと思ったものです。
オクトが我が家に来てから10日が過ぎました。
ベランダでの日光浴が嬉しいらしく、晴れている日はずいぶん長いことベランダで過ごすようになりました。
太陽の力は偉大です。
瞳から入った光は確実に脳を活性化させます。体内時計を修正し、リズムを整えます。
顔つきがはっきりと変化し、見たいものを見るという意志が現れた顔は、もう瞳が奥に引っ込んでいるようには見えません。
私のことも顔をあげて真っ直ぐに見つめるようになりました。
先日、ふと思いついておもちゃを目の前で動かしてみました。
オクトはハッとした顔になり、前足を伸ばしました。
私がおもちゃを手前に引くと、飛びつく体力は無いもののトコトコ走って捕まえようとします。
その後はひとりでもしばらく遊んでいました。
私は生き物全般にとって最も価値があることは「自由」と考えています。心身の自由ができる限り担保されていることがやはり一番幸せだと思います。
その反対がさまざまな形での抑圧です。
オクトは部屋とベランダという制限はありますが、それでも自由を感じて生きてもらいたいです。