ユートロニカのこちら側
小川哲
SFです。余談ですが、SFのことはエスエフと言うと思っておりましたが、先日ラジオ英会話でSFのことをサイファイと言 っておりまして、えー!今ってそう言うの?でもサイファイの方が言いやすいなって思いました。
調べましたら今でもエスエフは使うようですが、そもそも表記もSciFi (Science Fiction)と書いたりするようで、だからサイファイなんですね。
話しがずれました。
なかなか説明するのが難しい小説で、一読では十分に理解したとは言いがたいのですが、私が好きな近未来予測小説という感じで面白かったです。
同じ世界を舞台にした異なる小作品を集めた体裁になっていて、それぞれが関連しているようでもあるけれど、繋がり方はいびつで読みにくく、作者も描きたい世界を十分に把握出来ないまま書き連ねていったのでは無いか?というようにも読めます。
タイトルも内容を表しているような、よく分からないような感じで、少なくとも私はもう何回か読む必要があると思いました。
舞台となっている世界では個人情報が貨幣のような価値を持っていて、自分の身体・感情・選択・行動情報の全てを銀行に預けることが出来ます。預けると言っても実態は情報を抜き取られることを許可するといった方が近いでしょう。
もちろん、情報をどこまで開示するかは個人で選ぶことが出来ますが、情報銀行に個人情報が貯まらないと現実の生活が不利になる仕組みがあります。
一方で、吸い上げた個人情報を使用して利益を生み出しているマイン社という巨大企業があり、このマイン社がアガスティアリゾートという都市を造っているのですが、ここで暮らせば労働はしなくて良いし、生活にお金が必要と言うこともありません。
まさに遊んで暮らすことが出来ます。
アガスティアリゾートに入るためには審査があり、それが情報銀行での残高なのですが、リゾートでの暮らしがスタートした後も情報の収集は一層シビアな形で行われます。
それを監視社会と言ってしまえばそうなのですが、アガスティアリゾートでのそれは「疑いを持って見張る」と言うことでは無く単なる情報の抜き取り。
だから、気にせず暮らせる人もいますが、精神を病んでしまう人もいます。
当然、リゾートの存在やマイン社のやり方に反発したり敵対し、こんな社会は終わらせるべきと活動する人たちも外の世界にはいるのですが、リゾートに適応している人には何も不都合が無いどころか快適な生活が続くので、何も変化が起きません。
それはそうだろうなと思います。
アガスティアリゾートは欲望を煽る場所では無く、快適に暮らせる場所なのです。
そして、サーヴァントと呼ばれるAIのお勧めに従って選択を繰り返していけば、生活における様々なストレスがどんどん減っていきます。
人間にとって「欲」は希望や目標にもなり得る一方ストレスにもなります。
でも「快」を手放すのは難しそうです。
私がハッとしたのは、物語の後半でリゾート設立に関わった人物の息子というのが書いたとされる人の意識に関する論文です。
そこにはこうありました(本が手元にないので大まかな内容です)。
「情報の提供により、最適解が常時与えられるようになると人からは意識が消える。その先には静寂だけがある」
求める物が常に間違い無く提示される世界では、人はただ目の前にあるものに手を伸ばすだけで良い。
選択が何の違和感も与えなければ、全ては水のように流れて行き、意識は消えるというのです。
確かにそうかも、、、と唸りました。
そしてこれが一番自分にとっては問題だと感じましたが、こういう世界はダメですか?
それはなぜですか?
全ての人が心地よい感覚の中で静かに暮らす世界。憎しみも妬みも無く、犯罪や戦争も起きえません。
情報社会に警鐘を鳴らす人は多いけれど、でも実は究極の情報社会とは摩擦の無い静かな世界だとしたら?
あなたはそれを否定出来ますか?