空飛びラボ日記 Ver.2

研究する人生

エンドポイント

動物実験にはエンドポイントを決定しなくてはいけないという決まりがあります。
実験により、極端な苦痛が生じたり、体重が激減したりした場合には実験の継続により苦痛が持続することを避けるため速やかに実験を中止(すなわち動物は安楽死)しなくてはいけないというもの。

こういうことに馴染みが無い人からしたらなんとも身勝手な、と思うかも知れません。
治療とか健康の回復には向かわないの?と思われる人もいるかも知れません。
まぁ理想はそうなのだけど、治療して回復した実験動物は基本的にはもう新しい実験に使うことは出来ないし、ペットとして飼うわけにもいかない。
こういう別の生命の犠牲を必須とするような研究は、遠い遠い未来には消えていけば良いなぁと願いがら研究している人が多いと思いますけど。

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一昨日夜からオクトが何も食べられなくなり、しかし朝食は食べていたため一時的な食欲不振かも知れないので、容器にご飯を入れたまま寝たのですが、昨日の朝、何も減っていませんでした。

思い起こせば、確かに少しずつ食欲は落ちていました。
以前は一度に完食していた手作りご飯を2回くらいに分けて食べるようになったり、私の不在中や夜中に置いているドライフードは大幅に残すようになったり。

元々、慢性腎不全からくる貧血があるネコ、しかも高齢です。ネコで16歳と言えばヒト年齢に換算すれば80歳超えです。さらにネコエイズキャリアでもあります。
80歳で重い腎臓病で貧血でエイズのキャリアで食欲廃絶、とくればこのまま逝かせてやる方が良いのだろうか?と逡巡します。
普段も一日のほとんどをお気に入りのベッドの中でうとうとしながら過ごしているようなネコなのです。

オクトはだいたいベッドに居ます


しかし、だいぶ元気無さそうなものの「最期」という感じでもありません。
ご飯を入れたお皿の端を叩いたりして注意を引くと、なんとなく食べたいそぶりでベッドから出てきたりもしますが、匂いを嗅ぐだけで自力では食べません。
とは言え、食べたいそぶりを見せる、ということが大事なポイントです。
が、ここでネコ任せにしてしまうとまず自力では食べません。

食べない時間が長くなると食べることを忘れてしまうし、内臓が動かないと一層弱ってきますから、そうなる前に少しでも食べたい意欲が感じられるときは強制的にでも食べさせます。

ウェットフードと手作りペーストはそもそも柔らかく噛まずに食べられるようなものですが、裏ごしをしてより飲み込みやすいようにします。
それを少量ずつ指で掬い、口を開けさせて上顎の内側に塗るようにして食べさせます。


動物が本当に食べられなくなったときは口の中の物を飲み込むことすら出来ませんが、ほとんどの食欲不振の場合、少量ずつ口に入れてやれば飲み込んで食べます。
口に入れた分を咀嚼し、飲み込んで、落ち着いたのを確認したら同じことを繰り返します。
大事なのは人間側のスピードで食べさせてはいけないこと。
無理矢理口を開けさせられて、何やら分からない物(普段同じものを食べていると言っても)を口に入れられているのですから当然気分もよろしくない。
体調も悪いわけですから、少しずつゆっくり、途中休憩を挟んだり、頭や身体を撫で声かけをしながらやることが大切です。

ちなみに、昨日は大さじ2程度の食事を全て食べ終えるのに1時間弱かけました。

これが、急いで食べさせて仕事に行かないと、などと焦るとつい一口の量を多くしたり、矢継ぎ早に口に入れたりしがちですが、ストレスになるだけで無く、嘔吐や誤嚥の原因になります。


オクトは強制的に食べさせれば飲み込むし、後で吐くことも無かったのでおそらくしっかり食べることが出来れば持ち直すかな?と言う感じでした。

おそらく、少しずつ貧血が進んでいるのと食事量が減ったのが相乗的に作用して弱ったのでしょう。


水もシリンジで少量ずつ飲ませます。
昼と夜もそんな感じで、時間をかけて食事をさせると冷たく白っぽかった肉球も少し温まってきました。

また、自力で食事の場所に行きドライフードを食べるのは気が進まないようなオクトですが、寝ているベッドの中に直にフードを置くと気が向いたときに拾って食べることを発見!
この方式なら食べる量を増やせます。

実際、今朝起きると夜中に置いたフードは完食しており、ついでにトイレには便もあり、なんか普通に「朝ご飯まだ?」という顔をしていました。


昨日は仕事を休んで一日ケアし、今日も休むことを覚悟していましたが、ウェットと手作りペーストの朝ご飯を自力で完食したので出勤しました。
とりあえず今回は諦めずに粘って良かったです。



ペットに限らず、回復を見込めない病人や老人の看護や介護をしているヒトの多くは「いつまでやるか?どこまでやるか?」を常に考えていると思います。
別にこれは自分が大変だから、と言うことでは無く、相手の生命の有り様としてこれで良いのかという思いから。

ケアは確かに大変なこともありますが、実際「ケアが大変だから」と言うだけの理由で相手の命を終わらせようとするヒトはほとんどいないのでは無いかと思います。
そこに、さらに回復の見込みも無くて意思の疎通も出来ていない、とか、肉体的苦痛でひたすら苦しんでいる、とかがあると、「これは終わらせた方が良いのでは?」と考えるようになるのでは無いかなぁと自分の心の動きを観察しても思います。

その辺、ヒトによってだいぶ幅があるとは言え、基準が無いことが問題を難しくしていますね。
とは言え、エンドポイントへの向き合いが「個人的な問題」として丸投げされているのもどうか?と思います。
悩んで、手探りでやっているうちになんとなく終わりが来れば良いけど、疲れて心中や殺人が起きる状況は無くさないといけません。
答えは出ないし、多分無いのですが、「いつまでやるか?どこまでやるか?」についてオープンに話せる場所がもっとあれば良いのにと思います。



ペット(ネコ)に関して言えば、ちゃんと観察していれば本当に最期、という時は分かるように思います。
何匹か看取って、私にも「あ、これはもうダメなんだな」というのが分かるようになりました。ちょっとしたことですが、行動が違うんです。
だからといって、その時すっぱり諦めて何もしないのか?といえばそこがなかなか難しいところではありますが、ネコが「もう終わりだよ、さよならだよ」と言っているときに、点滴したり無理矢理食べさせたり飲ませたりするのは本当は間違っているのでしょうね。。。

平時には最期は穏やかに旅立たせたいと考えますが、死を目の当たりにすると日和ってあれこれしてしまうのは優しさのようでエゴでしょう。

次、そのような機会があれば(あれば、というか必ず来ますが)心を強く持って見送ろうと思います。



持ち直しました
ベッドに直置きすると食べてくれることを発見。お皿だとフードが滑って食べにくいのかな、、、、